石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


浦賀渡船  『明治11年が始まり』
原文

扇の港とも呼ばれる浦賀港は、湾の幅が狭く、奥行きは約二`。 港の両岸を結ぶ渡船は今、東浦賀町二ノニニと西浦賀町一ノーの間を走る。 二百三十三bのコースを約二分、一日五、六十回は往復するという。 その歴史は古い。 市土木部の資料によると明治十一年(1878)八月、 地元の浦賀宮下町ほか十七力町の協同事業として発足したのが始まり。 当時の船賃は昼三厘、夜六厘。 ちなみに、二十五年三月の利用客は約千七百人。収入はニ十九円二十銭。 その当時の船頭の賃金は、月七円五十銭だった。 渡船が町営になったのは、大正六年(1917)四月である。 営業は、日の出から午後十時までで、船賃は大人一銭、子供五厘。 十一年十二月には、この渡船の航路が道路として認定された。 現在は、市道二〇七三号線。海上の市道とは珍しい。 さて、昭和十八年四月、浦賀町が横須賀市と含併すると、市直営に。 だが、二年後には民間へ委託された。 「ポン、ポン、ポン」と今、活躍中の船は、長さ七bの「愛宕丸」でー・七d。 船長さんは、地元のその道十六年の島本清志さん=西浦賀町=。 お話をうかがった。 「以前はニ十数年、外国航路に乗っていました。 近ごろは、マイカーやバイクの増加、金融機関の移転やスーパーの開店などで人の動きが変わり、 お客さんが減りました。しかし、朝早くから渡船をあてにして下さる方がおります。 営業である以上は安全第一。損得抜きでがんばっています」。 船賃は片道、大人八十円、子供四十円。 ー渡船に、季節はない。得がたい「ふるさと横須賀」の風物詩ではある。
原本記載写真
浦賀港の両岸を結ぶ渡船は、233bのコースを約 2分で走る。 歴史は古く、明治11年(1878)の始まりである。 写真は、片道80円、今でも横須賀の”風物詩”となっている渡船。航路は市道である

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